「教わる」と「教える」
キャリアや年齢を重ねていくと、自分が望む、望まないに関わらず「教える」機会が増えていきますね。
個別面談等の話題も、医院に入った当初は
「SRP を覚えたい」「TEK が苦手」といった何を覚えるか、何を教わりたいかという“自分”が主語だったものが、
年数の経過と共に
「新人の教育カリキュラムを作っている」
「○○さんに何度同じことを教えても覚えてもらえない」
といった“自分ではない人”が主語に変わっていきます。
【学習モデル】
レベル1:知らないしできない
レベル2:知っていてもできない
レベル3:考えるとできる
レベル4:考えなくてもできる
レベル5:教えることができる
上記は人の学習レベルを表したものです。スポーツや車の運転、パソコン操作、そして仕事においても、
私たちはすべてレベル1から学習を始めていきます。ここで注目したいのは「教える」はレベル5の最高レベルであるということです。
「名選手、名監督にあらず」という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、
自分ができることと、それを他人に伝えることは別次元ということのようです。
そう言われてみると、教育の場において“教える立場”にある人はレベル4に到達していることが多いように感じます。
このレベルは考えなくてもできる人ですので、レベル1や2にいる“教わる人”の状態や気持ちが理解できず、
「なんでこんな当たり前のことができないの?」というすれ違いが起こりがちです。
私自身も誰かに何かを教えたり、伝えたりすることが多い毎日ですが、
以前は「こんな当たり前のことができないのはその人の問題」と思っていた時期があり、
自分の教え方や伝え方に課題があるとは考えていませんでした。
伝えたいと思うことが伝わらないことが多く、イライラしたり落ち込んだりを繰り返す日々で、
一時はこの仕事は自分には向いてないのでは・・・?と考えたほどです。
ちゃんと言葉、そして人の心を学びたい。
それが「心」や、伝え方や聴き方の土台にある「言葉」を学ぶことにした背景です。
NLP(神経言語プログラミング)を中心に、ファシリテーションやインバスケット思考、
コーチング、プレゼンテーションと自分に必要だと思ったものには躊躇せず時間を費やしてきました。
しかし、学べば学ぶほど、その壁の高さを感じています。
言葉の技術が上がったかな、と思った途端に「まだまだ甘い!」と痛感させられる出来事が起こるのです。
人の数だけ価値観があり大切にしているものが違いますので当然といえば当然ですね。
こうすれば上手くいく、という万能な言葉はありませんが、
同時に自分の考えを誤差なく伝える上で力となる知識や技術があることも事実です。
これからも「言葉の力」を信じ、そこに共感していただける方と共に学びを続けていきたいと思っています。